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1月14日イベントレポート
あけましておめでとうございます(遅)

うわ、ブログ更新サボりすぎてました・・・。
ちょっといろいろあって11月は半月ほど出張してたりその事後処理やら、クリスマスやら年末年始やら同窓会やら・・・。

とりあえず、いまさらですが、1月14日のインテックス大阪のイベントレポートを。

※※※

当日は半年以上ぶりのイベントだというのに、一般入場開始ぎりぎりに到着。
・・・というかね、なんで家が遠くなってから入場開始時間が早まるかなあ。
私より遠い人、相当厳しいと思うんやけど。そこらへん、主催者に考慮してほしい。

とりあえず、あたふたと設営、ペーパー折ってはさんで、値札作って・・・テンパってて周りの方に申し訳なかったです。
どうやらわたしは何か作業してるとき「話しかけんな~!!!」という殺気というかオーラを放っているらしく、いや事実二つのことが同時にできないので仕方がないといえばそうなのですが、時々びびられているらしい(爆)
実際それで話しかけるのを遠慮されたという話も聞いたことがあります・・・が!単に焦ってたり集中してるだけで、別に取って食いやしませんので・・・っ!
どうぞご遠慮なくお話を。

そういうことを考えると、スケブを頼まれたりするのはとても嬉しいですが(滅多にありませんが)、気をつけないと近寄る人をはじきまくってそうですね(汗)

今回はひさしぶりに大学のときの友人が売り子しに来てくれました。
楽しかったー。
本を買うジャンルとかは違うのですが、二人とも流行り物はさっぱりわからないという(笑)
パンフをぺらぺらめくりながら、「知らんものの方が多いよ・・・」とつぶやく私たち。
おおお、時代は流れている・・・。←年寄めいた感想

そして買い物に出た友人が買ってきた本は・・・!
なんとパンフで目にして、その異様な雰囲気と魅力から目が離せなくなった、
目玉親父が主役で「キャンディキャンディ」をパロった本でした。
目玉親父がドレス着てます。瞳は昔の少女マンガのきらきらで星の入った乙女チックでたいそうロマンチックな・・・。
しかも絵上手いし!!!(爆笑)

銀英では諸事情あってオフ会にいけなかったのが残念です。次こそは!
ゴク会長様、挙動不審な奴がたずねていってすみませんでしたーー・・・!なぜだか緊張してしまい、日本語怪しいし・・・。ほんっとすみません。


あと、訂正。
次の参加イベントは3月ではなく5月になります。
今年は夏(9月)もさんかしますのでよろしくおねがいいたします。
# by youmei-uzbek | 2007-01-22 23:16 | オタク
萌えと美術と村上隆と私
マンガと美術とオタクについてちょっと書きたいことが二つばかしあるので書いてみます。

※村上隆という現代美術家を知っているだろうか?
あの、どーみてもただのアニメの美少女キャラのフィギュアが海外のオークションで50万ドルで落札されたり、ルイ・ヴィトンとコラボレーションしてやたらポップでマンガ的なデザインのかばんを作ってたりする人です。

(実は東京芸大の日本画出身、しかも日本画科初の博士号修得という日本画界の最高峰エリートな経歴を持ってるらしい…!<余談)

彼のスーパーフラット理論は理解できる。
日本画だ、洋画だといっても日頃からそういうものに興味を持って見ている人間が何割いる?
つねづね、マンガやアニメこそが、今日本では最も広く親しまれ愛好されている美術であり、後世にこの時代の美術として残るのはマンガやアニメだろうなあと私も思ってきた。

でも私は、村上隆の作品自体は好きではない。

マンガやアニメが嫌いだからではなく、むしろ逆に好きだから村上隆の表現は好きになれない。

例えば、日本でウズベキスタン料理の店に入るとしよう。
一度も食べたことのない、行ったこともない国の料理だとしたら、
それが仮においしかったとしても、
ひょっとしたら、本国ではもっともっとおいしかったり、
あるいは実はそこで食べたものがシェフの創作料理でウズベキスタンでもものすごく珍しいものだったり、
日本人向けの味付けで別物だったりするかもしれないよね?

つまり言いたいのは、「美術」というジャンルだけで見ていたら(あるいは海外から見たら)
珍しくて素晴らしいものに見えるのかもしれない村上隆のフィギュアだけど、
マンガやアニメに慣れ親しんだ目から見れば、本来のマンガやアニメの世界のほうがずっといい作品があるし、そういういかにもな美少女キャラがマンガ・アニメ表現の代表とは限らない、ということだ。

マンガならマンガの世界で表現を模索し、描き続けてきた人々がいる。
絵の美しさでも人間のストーリーでも笑いでも動きでもなんでもいい。マンガ家が新しいマンガ表現を追求してきた蓄積のなかから、村上隆は表層の記号的な部分だけをかすめとって作品にしている。
それはやっぱり、マンガやアニメを作り続けてきた人々に対して敬意が欠けているのではないだろうか。

理屈はわかる。でも自分で表現を創り出そうという真摯さは感じられない。


続くかも?
もう一個、「萌え」って言葉が商売になったとき変わってしまったものを書こうと思ってたんですが短くはまとまらず・・・。
# by youmei-uzbek | 2006-10-31 23:07 | 絵・美術関連
ノーベル文学賞
祝!オルハン・パムクノーベル文学賞受賞!!

ノーベル文学賞のHPからインタビュー(英語)が、読めて聞けます。
聞いたら結構衝撃でした(笑)
・・・・・・勝手に穏やかで物静かな文学者をイメージしていたのですが、そこにいたのはノリノリでしゃべくりまくるトルコのおっちゃんでした。インタビュアーの質問を途中でさえぎってしゃべりだすせっかちさ(笑)
でもよく考えたら、小説の文章もそんな感じですね。

これからもっと日本でもパムクの小説が訳されるといいな~。
# by youmei-uzbek | 2006-10-14 00:08 | 書評・展評・映画評
『間違った』遠近法
オルハン・パムクのトルコ美術史ミステリー「わたしの名は紅」について尊敬するブログでとりあげられていて、
私もとても大好きな本なので、珍しくトラックバックして書こうとしたら操作ミスで [ という文字しか打たないまま送られてしまいました・・・・・。
大変大変失礼いたしました(泣)


さて、「わたしの名は赤」では、
イスラーム圏の伝統的絵画・ミニアチュール(細密画)とルネサンス以降の西洋絵画、
個人としてのスタイルを持つ芸術家と、個人の手のあとを残さず古典の完璧な模倣を行う職人、そのせめぎあいが描かれているわけです。(それがまたばっちり殺人事件のキーになっているというつぼをついたおもしろさ。)

日本画をやっていたわたしとしては、これは遠いトルコのお話というだけでなく、他人事ではない問題を提起している小説でもあります。
西洋絵画の受容と反発、そして失われていく独自性。
現代では、洋画と日本画の区別がつかないという声がよく聞かれます。また明治以降は「西洋絵画に近いものほど進んだ・優れた絵画である」という意識が支配した時代だったと思います。おそらく今でも。

たとえば遠近法。
手前のものは大きく、奥のものは小さく見える。
常識ですね。たぶん道に沿って並ぶ建物が X <のような補助線を引かれて透視図法を現している絵なども見たことがある人は多いんじゃないでしょうか。

ではもし絵に、手前のものは小さく、奥のものは大きく描いてあったら?
もし遠くのものも近くのものも同じ大きさで描いてあったら?

多くの人は、遠近法が「間違っている」と思うはずです。
稚拙だな、昔の人は遠近法を知らなかったんだな、と思うかもしれません。

実は手前のものは小さく、奥のものは大きくというのは、仏画や中世ヨーロッパのキリスト教美術に見られる遠近法です。
知ったときには私もびっくりしました。
その場合の手前と奥は、その絵を見ている人間とは逆なんです・・・!
つまり仏さんやキリストさんの視点から見れば
手前は大きく奥は小さく、遠近法は「正しい」ということになります。

ルネサンスというのは人間中心の時代です。
人間の固定された視点を獲得した、逆に言えば神の視点を失った時代なのです。
すでにさまざまに言われているかと思いますが、ルネサンスの絵画はリアルになります。生き生きとして触れそうです。でも神を描いても聖人を描いても、それはやっぱりただの「人間」にしか見えないのではないか、という疑念があります。

そりゃあ殺人事件も起こりますよ(笑)
遠くも近くも同じ大きさで描くのは、アッラーの視点。
西洋の遠近法や技法を取り入れることは、アッラーの視点を捨て、一介の人間の視点のほうを重視するということなのですから。
# by youmei-uzbek | 2006-09-27 23:58 | 絵・美術関連
プライスコレクション~若冲と江戸絵画~展
本日行ってきました京都国立近代美術館。

プライスコレクションほど充実した江戸絵画のコレクションは日本でもめったにないと思います。
すごいな~いいな~プライスさん。こんなコレクションを手元において眺められるなんて…なんてうらやましい!


若冲もさることながら、ほかにもたくさん素晴らしい絵があって、こんなに一般入場料の元取った感のある展覧会は久しぶりかも(笑)



とくに円山応挙の「懸崖飛泉図屏風(けんがいひせんずびょうぶ)」がよかったです。


部屋の角に展示してあり、向かって右の壁側には四つ折の屏風に山の岩場と、上のほうに一筋細く鋭く流れる滝。

正面の八つ折の屏風には山道にたたずむ二頭の鹿と木、それに白い霧の中に消えていく山並みのわずかな影。

画面のほとんどは白で、つまり何も描かれていない紙のままの空間に、墨の濃淡で山のごく一部の風景を描いているだけ。

しかし描かれていないからこそ、実際の屏風自体よりもはるかに大きな空間を感じさせる。山の霧の湿ってひんやりとした空気まで感じられるようでした。

応挙上手いよ…!マジやって。デッサンその他日本画史上(もちろん現代まで含めて)一番「上手い」画家だと個人的に思ってるのですが。



伊藤若冲は、まるで色とりどりのタイルを貼り合わせたかのように見える、でも実は自分ですべて絵の具で描いている「鳥獣花木図」が際立って面白かったです。

生で見ると違いますねやっぱり。

例えば、ひとつの枡の上にもう一色中心部に重ねられているのですが、それが場所によって「濃い色の上に薄い色」になっていたり「薄い色の上に濃い色」になっていたり、違う色の組み合わせパターンがあったり。それによってグラデーションを作り出しているのです。

なんだか、「金沢21世紀美術館」の現代美術の作家さんたちに見習ってほしいような感じでした…。

斬新なことをやろうとしたら、できることをやりつくし知りつくしてからでないと。
ほんとうはそれまでの技術と磨いた感覚をを総動員しないと作れないと思うのですよ新しいものって。

21世紀~の作品の多くはあまりにもアイデア一発勝負で
すみずみまで気を配って作り込まれているとは言いがたかった気がする。
やるならここまでやらないとな、と思いました。



今日のところは若冲と聞いて危惧していたほどには混んでおらず、まあまあストレスなく見られました。

いや~これが京都国立博物館のほうじゃなくて良かった。
もうやばいっすよ京博。
独立行政法人化してからというもの、
な り ふ り か ま わ ずおおげさなあおり文句つきで宣伝しまくるから、「大絵巻展」なんて入るのに180分待ちで、さらに中で鳥獣戯画と源氏は30~40分待ちなんてことになるんだよ…!

三時間も待ってられるかーーーーっ!大体それじゃ中入ったって絵なんてろくに見られへんやん!(そう思って常設だけ見て帰った)

……そんな展覧会じゃ、美術を愛する心なんてはぐくまれないと思うのですよ。常設のほうでも、琳派のものすごくいい絵が出ていたというのにガラガラだったし。

今回も若冲以外の絵を見ようともしない人々にはちょっとげんなりしました。それって自分の美意識じゃなくブランドで絵を見てるだけなんじゃないかな。

若冲は素晴らしい。
でも、100枚のさまざまな絵を見てきて若冲が好きだという人と若冲の絵だけを見ていいね、という人とはやっぱりその理解の深さが違うんじゃないかなと、思ったりもするのでした。
# by youmei-uzbek | 2006-09-24 22:58 | 書評・展評・映画評